メガネ好き好きクラブ

眼鏡(の女の子)が好きな眼鏡のやつが書き残しています

火曜日の朝は廊下ですれ違うことはもうない

どうも。

最近ワクチン一回目打ちました。症状としては、摂取箇所の痛みと37度台の発熱程度で聞いてたほど重くなく、ガチャとしてはSRほどでしょうか。2回目のほうが大きく表れるようなので、今からおびえています。(個人の感想です)

接種が始まってからほぼ半年以上が経過し、まだ打ててない人もいない中3回目も決まるなどあれよあれよという間に、秋まで来てしまった感があります。時が流れるのは早い、ヤバい、卒論・就職…何も知らないデスね。

 

以上、近況報告でした。

 

んで今回、タイトルに宇多田ヒカル『in my room』の歌詞から引用してつけました。

open.spotify.com

ファーストアルバム『first love』に収録されている曲で、めちゃくちゃいい曲です。

てかアルバム全体通して聞いてくれ。どれも最高や。

 

本来の歌詞は「火曜日の朝は廊下で すれ違ったけど君は気づかない」です。

火曜日という週が始まって少しした頃、また朝というせわしなく初めて会う時間帯、14‐5歳に作ったことから学校の廊下を彷彿とさせる場所でもうくそほど良いのですが、後半の一方的に見ている描写が死ぬほど良い。

私は歌詞やタイトルなどに曜日が入っているものをその日に聞いてみたいと思う方で、この『in my room』は学生時代から欠かさず聞いてました。

現在も火曜日にツイッターで「火曜日はin my room」とつぶやいているのはこの影響です。

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ほぼ毎週火曜に呟く狂人

宇多田ヒカルの登場時すげえと騒がれたのは、14-5歳という若さとそれを凌駕する歌唱やお母さんのことなど様々ありますが、やはり作詞作曲センスがやばいと思います。

この年で大人びた(正確な表現ではない気がする)歌詞を書けるのはすげぇと言われ、20年たったいまでも贔屓目はありますが全然聞いて楽しい曲だと思います。

んで、『in my room』も全体的にみれば大人としてめちゃくちゃ進んでいるような歌詞にも見えますが、個人的には思春期の苦悩している感じが出ているのではとも思います。

「戦うのもいいけど疲れちゃったよ 夢も現実も目を閉じれば同じ」

サビのこの部分とか、もういろいろやったけど無理だしつぶってしまおうと達観ぽく見えて、どうしていいか分からんという経験不足の状況で目を背ける行為を選ぶ感じに幼さを感じてしまいます。

タイトルにもある通り『in my room』と自分の世界は結局自室で完結してまう、自分の中での堂々巡りを繰り返しているに過ぎないもどかしさが非常に10代の学生にあうのではないかと考えてました。

 

で、ふと思うこととして、自分には、火曜日の朝に廊下ですれ違うことはもうないんだなとなるのです。知らんのに顔だけ知ってるやつとすれちがうのも、人気者のやつが廊下で話しているのも、気になる人が教室に入っていくのも、全てもうないことなのかと。

現在の学生は、どんな学生生活を送っているのでしょうか。マスクで顔は覆い隠され、新様式と呼ばれる生活形態で勉学に励む彼らにとって、火曜日の朝の廊下はどんなものなのでしょうか。案外、自分が経験した生活と大差ないのかもしれません。もしないのなら、私からみれば少し寂しい気もしてきます。廊下というクラスという箱から排除され、他クラス上下学年と合う機会が平等にある場所でしかできない交流もあるような気がするのです。多分、メイビー、知らんけど。

 

個人的にはこの曲を聴いたときに彼らに共感でなくても、廊下の記憶があれば個人的にうれしく思うのです。

 

水曜日はスピッツって感じしませんか?語感的に。